
日露戦争における両軍兵士の純情と道義精神
日露両軍は、一旦戦闘休止を約束し戦場掃除の作業に共同であたった。その際に撮影された写真である。互いに戦友を殺傷した敵兵への激情を抑えての共同作業であり、憎しみの感情のままに一発でも敵兵への発砲があれば、両軍兵士の打ち合いが始まること必然であった。しかし、日本に武士道、ロシアには騎士道があり、互いにその誇りにかけて戦闘休止の約束を守ることを確認できたからこそ撮影できた写真である。今日に至る戦争史の実際を考えるとき、両国が世界に誇るべき歴史を示す「奇跡の一枚」と呼んでいいだろう。
長谷川伸の「日本捕虜志」には、日露両国兵士の純情と道義精神を示す数多くの美しい挿話が集められている。
『死体を検して、姓名の確認、頭髪及び遺品を収め、火葬し遺骨を蒐収して、郷里に還送するに努めた。敵の戦死者に対しても、ほぼ同様に講ぜたり。ただ、宗教上の関係を顧慮し、火葬を避け埋没。』との記述がある。
更に、歩兵第一聯隊猪熊敬一郎中尉の記録「鉄血」からは、「当時はまさしく敵愾心の絶頂に達していた時で、露軍から見ればこの三名(埋葬されし日本兵)は、八つ裂きにしてその肉を食らうも尚、飽き足らざるの時であっただろう。然るに、かくの如く丁寧なる埋葬をなし、その認識票まで懸けておいてくれるとは、真に感謝すべきことではないか。露軍は戦には敗けたといえども、しかも我が軍にとっては真に好敵手であった。事の成敗は天にある。成敗のみを見て直ちにこれを侮るは愚かである。」を記している。
又、捕虜についての記録もある。日露戦争開戦の明治37年(1904年)2月から翌年9月の休戦条約成立までの20ヶ月間に、日本が捕虜としたロシア将兵の数は、79.367名に及ぶ。ロシア兵捕虜に対して示された武士道精神の記録もある。
麻布三聯隊守永中隊長は、兵士に対しロシア兵捕虜の見学希望をとる。その時、金子亀作一等卒は、「武士は相身互いでありますから、見たくありません」と応えた上で、「自分は在郷のときは職人であります。軍服を着たからは、日本の武士であります。何処のどういう人か知りませんが、敵ながら武士であるものが運つたなく捕虜となって彼方此方と引きまわされ見世物とされること、定めて残念至極でありましょうと察せられ、気の毒でたまりませんから自分は見学にいって捕虜を辱めたくありません。」
中隊長は、金子一等卒の言をよしとして見学を実施しなかった。
又、「愛情は武士の道」とした大竹末吉曹長の言葉も記されてある。「戦線では敵だが、捕虜となれば敵ではない。軽蔑してはいけない。」
司馬遼太郎は、「坂の上の雲」第3巻で書いている。
「日露ともに戦場での勇敢さを美とみる美的信仰をもっていたし、自分が美であるとともに、敵もまた美であってほしいと望む心を、倫理的習慣としてつねにもっている。そういう習慣の、この当時は最後の時代であった。」
美的信仰と倫理的習慣を、宗教や倫理観または規範意識とすれば、これらは時代とともに科学のように進歩しているのだろうか。祖国の歴史すら、愚かなものであったと見下す人たちに聞いてみたい。「あなたの倫理観は、当時の日露両軍兵士より進歩して良くなっていますか。美しいものですか。」と。

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