2026/07/16
96、靖國神社職員勉強会での講話その14 最終話
もしよければ自分なりに今日聞いた話の感想を書いてみてください。書いてみたら分かりますよ、自分がどれほどのものか。自分自身をはかるバロメーターになります。警察学校生ほどの感想が書けるかどうかです。自分に問いかけながら今日の感想を、誰に発表するわけでもないし、でも皆さんの自分の記録として感想を書いたら、きっと役に立つと思います。
2026/07/15
95、靖國神社職員勉強会での講話その13
私も、このときに広報課長で浅井宮司さんとやり取りをして、自分もいつか教誨師として英霊を語りたいなと思いました。 そうしましたら、偶然といいましょうか、偶然ではなかった、導きだったと思いますけれども、宮城に行ってから教誨師としての役目を仰せつかって、受刑者に対して教誨活動を行うことができました。
2026/07/14
94、靖國神社職員勉強会での講話その12
平和に恵まれ、家族そろって食卓を囲み元旦にお雑煮をいただくことは、決して当たり前のことではない。本川中尉も、今年もお雑煮がいただけると思っていた。しかし、彼は二度といただくことができなかった。 (中略)中尉の御長女の夫は結婚前、交際相手の父親が戦犯だったことを両親に告げた。そのとき父親は、「勝った国には犯罪者でも、負けた国にとっては功労者、何の支障もない。」と断言されたという。この堂々たる言葉、当時の日本人の真情であり、現代人への戒めである。
2026/07/13
93、靖國神社職員勉強会での講話その11
 本当に春のみそぎはやればやるほど、無限の大宇宙の一点だとか、永遠の流れの一点だとか、そういう自覚がハッキリと自分の中に生まれてきます。  木々の芽吹き、若草のむせかえるような匂い、そういうものが全身を満たしてくるような喜び、そして神様が導いてくれる、そういうことを信じなかったら、みそぎをやる必要はないでしょう。
2026/07/12
92、靖國神社職員勉強会での講話その10
正直なところ、私もこうやって偉そうなことを言っているのですが、遊就館時代、こういう話をしながら毎日苦しんでいました。自分にも家族があって、かわいい子供たちがいて、毎日暖かい布団で寝て、食べたいものを食べて、何不自由なく幸せに暮らしている。その自分が、どうして一つの苦しみも悲しみも知らない自分が戦没者のことをこうやって話せるのか。 そういう心は、常に私を責めました。
2026/07/11
91、靖國神社職員勉強会での講話その9
日露ともに戦場でも勇敢さを美と認める美的信仰を持っていたし、自分が美であるとともに、敵もまた美であってほしいと望む心を倫理的習慣として常に持っている。
2026/07/10
90、靖國神社職員勉強会での講話その8
 ここまで戦没者のことで大分深刻な話をしてきましたけれども、こういう話もしてみたいと思います。  日露戦争です。広瀬中佐。まあ広瀬さんのことは聞いたことがある方もいるでしょうけれども、『坂の上の雲』でも描かれております。旅順港の閉塞作戦で、部下を守り抜いて、しかし最後は、杉野兵曹長とともにその作戦の中で戦死をされました。...
2026/07/08
89、靖國神社職員勉強会での講話その7
次は、市島さんを見送った山岡荘八さんの記録であります。報道班員、山岡荘八さんは戦後、「徳川家康」、「伊達政宗」といった著名な作品があり、日本の歴史小説の大家として、多くの人に読まれた方であります。その山岡荘八さんが報道班員として鹿屋に送られ、そして最初に見送った中に市島さんがおりました。その記述です。
2026/07/07
88、靖國神社職員勉強会での講話その6
 多くの学生たちが、昭和十八年、学徒出陣をしていきました。次は、私の書いたものですけれども、...
2026/07/06
87、靖國神社職員勉強会での講話その5
次は、現在の遊就館には展示されていないと思うのですが、平成五年、学徒出陣五十年というときに、この古谷眞二さんの御遺影、御遺書とともに展示しましたら、若い女性がこの古谷さんの姿だけを見に来る。それほどの美青年、美しい顔立ちの優しげな印象の方でありました。

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