
初夏の日差しを受ける若葉、その浅緑が照らす小道の先に「無言館」はあった。ここは、長野県上田市の別所温泉に近い里山林の中、戦没画学生慰霊美術館「無言館」。訪ねてみたいと思ったきっかけは、痩せ細った自分自身を描いたデッサンを見た三十数年前に遡る。当時、靖國神社遊就館特別展「学徒出陣五十周年 蘇る殉国学徒の至情」の準備作業にあたっていた。史資料の山の中、戦没画学生の作品を集めた雑誌が目にとまる。そこに、その自画像はあった。今となっては、雑誌名の記憶も無く、いつ何処でどのような状況下で描かれたものかは不明だが、極限まで痩せた己自身を描くタッチ、描こうとする気力に満ちた太い線に、強い印象を受けたのだった。
今回、「無言館」ではその画を見つけることは出来なかった。だが、深い感動を覚えた作品がいくつもあり、特に家族を描いた作品が心に残る。
一つは、妹を描いた兄の作品。涼しげな夏柄の着物を身につけ椅子に腰掛けている妹の横顔。編んだ髪の毛のほつれた柔らかな様子や、腿の上に置いた手のふくよかな白い指。恥じらいを含みながらもしっかりと前を見据えた眼差しとまつげの様子。娘盛りの妹の姿を描ききった兄の思いが時を超えて伝わってくる。妹さんは、八十歳を超えるまでこの絵を手許においていたとの説明書きにも涙を誘われた。
もう一枚は、祖母の絵である。羽織をまとい正面を向いている老女。眼はしっかりと見開かれ、そこに優しさや怒りといった感情はない。ひたすら描き手を見つめている。出征すれば描くこともできなくなるからと、絵筆を執った背景が解説されてあった。孫と祖母は互いに相手の顔を凝視し合っていたのだろう。祖母は祖母で、孫の顔を決して忘れまいとの一心で懸命に孫を見つめていた。孫は孫で、そんな祖母の眼差しを描くとともに、己の心に深く刻んで出征していこうと考えたに違いない。「ばあさんは、必ず俺を見ていてくれる、忘れないでいてくれる。」祖母を描いた時の記憶こそ戦地の孫の心の支えとなって、何度も何度も思い出しては涙を流していたことだろう。
無言館にある戦没画学生たちの作品から伝わってくる心象は、家族愛や思慕、無念そして感謝であった。画学生には、美しい妹を見続けるためにも描いておきたい、大好きな祖母を心の頼りにしておきたいといった気持ちが。妹や祖母の方には、戦後の長い年月、遺された絵を見るごとに浮かび来るさまざまな感情。生きていれば、もっともっと多くの素晴らしい絵を描くことができたろうにといった嘆き、しかし何よりも、兄や孫の優しい眼差しを思い出すことがうれしかったに違いない。
家族が互いに眼差しを交わして時を過ごす幸せを思いつつ、木漏れ日の小道をあとにした。
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