85、靖國神社職員勉強会での講話その3

溝口幸次郎さん
溝口幸次郎さん

 警察学校の学生が最も多く感想を書いてくれる一人に、この溝口幸次郎さんがおります。静岡県の出身、中央大学から学徒出陣された方であります。なぜこの日記が最も多くの学生の心に響くのか。溝口幸次郎日記を読んでみたいと思います。

 

 私の父上も私の母上も、農に生き抜いた偉い方です。両親の若いときの苦闘を聞くと本当に済まない気がします。山間の田舎道を、荷車を引いて人が行く。飛んでいって車の後押しをしてみたい気が湧いてきます。もう何のお手伝いをすることもできない私の不孝をお許しください。どうぞ御体御大切に。

 「現在の一点に最善を尽くせ」「ただ今ばかり我が生命は存するなり」とは私の好きな格言です。生まれ出でてより死ぬるまで、我等は己の一秒一刻によって創られる人生の彫刻を悲喜善悪の修羅像を刻みつつあるのです。私は一刻が恐ろしかった。一秒が重荷だった。もう一歩も人生を進むには恐ろしく、ぶっ倒れそうに感じたこともあった。しかしながら、私の二十三年間の人生は、それが善であろうと、悪であろうと、悲しみであろうと、喜びであろうとも刻み刻まれてきたのです。私は、私の全精魂をうって最後の入魂に努力しなければならない。私は誰にも知られずにそっと死にたい。無名の幾万の勇士が大陸に大洋に散っていったことか。私は一兵士の死をこの上もなく尊く思う。

母上さようなら、母上に絹布団に寝ていただきたかったのに。

 

 次は、警察学校生の感想です。

 

 私は、溝口幸次郎命の日記に強く引かれた。「現在の一点に最善を尽くせ」「ただ今ばかり我が生命は存するなり」という格言が好きだという溝口さんは、最後の最後まで必死に生きたことが想像された。格言の精神を身をもって示す態度に迫力を感じた。

 自分は、一体どれだけ一刻一刻を無駄に生きてきたのだろうかと思った。一秒一刻を懸命に生きようとする精神、今、自分に足りないものだと思った。自分の親を思う気持ち、家族を思う気持ちのような人への思いやり、自分の国に誇りを持ち愛する精神、そして一生懸命生きようとする「生」のエネルギー。どれも、今の日本人が忘れかけているものだ。

 

 また、こう感想を書いた方もありました。

 

 私は、彼らの魂に触れたことで、自らを省みるきっかけとなりました。あまりにも平和ボケしている自分に恥じらいすら覚えます。特攻隊員と警察学校生という違いこそあれ、市民のため、日本のために訓練する日々は同じはずです。しかし、彼らは死ぬために訓練をしていた。溝口幸次郎の言葉を借りて、今、彼らに言うことができるのであれば、「あなたたちもまた死するために生き抜いた偉い方々です。」と言ってあげたい。そして、私は、あなた方一兵士の死をこの上もなく尊く思います。私たちがいずれ本物の警察官となり、この国の治安を支える一助となれたなら、「日本のため」という彼らの想いへの私たちなりの報いにな

るはずです。

 私は警察道に生き抜く覚悟を決め、私は本物になることを目指します。

 

 書けますか、こういう感想を。私は本物の神職になりますと書けますか。本物とは何でしょうかね。君らにとって目指すべき神職像とは何ですか。こういう感想を書けますか。君ら自身が自分の心に問いかけて、こういう遺書を読んで、こういう感想が書けるかどうかなのです。何にも感じないで何も思わないままでこの遺書を読んだところで、聞いたほうだって何も感じない。

 けれどもね、本当に自分自身がこれに対して何らかの感動を覚えて心から心を響かせたならば、語り言葉の中に力が入ってくる。御英霊が助けてくれる。そして、聞く人に訴えかけてくるのですよ。自分のこととして考えなければ、こうやって話している時間だって無駄なのです。

 いいですか。そうやって自分のこととして考えてください。自分の言葉としてこういう溝口さんの遺書を読めますか。そうやって聞いてもらいたい。御英霊に奉仕する皆さんは、本当に日本の国の大切な柱なのですよ。君らの口から全国の人たちにこういう御英霊の話をして、ああ今日はいい話を聞いたな、そんなふうに言ってもらえるように努力してもらいたい。まだまだ腑に落ちない面もあるかもしれませんけれども、お話は続けましょう。   つづく