
林市造さん、京都帝国大学から学徒出陣された方でありました。母一人子一人の環境であった林さんの母への手紙であります。
晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。母チャンが私を頼みと必死で育ててくれたことを思うと、何も喜ばせることが出来ずに、安心させることもできず死んでゆくのがつらいのです。(中略)私もまだ母チャンに甘えたかったのです。(中略)一度会ってしみじみと話したかったのですが、やはり抱かれてねたかったのですが、門司が最後となりました。
そして、戦後に書かれたお母さんの文章を読んでみます。
泰平の世なら市造は、嫁や子供があって、穏やかな家庭の主人になっていたでしょう。けれども、国をあげて戦っているときに生まれ合わせたのが運命です。日本に生まれた以上、その母国が危うくなったとき、腕をこまねいて見ていることはできません。そのときは、やはり出られる者が出て防がねばなりません。
一億の人を救ふはこの道と
母をもおきて君は征きけり
これほど母思いの息子が母を置いて行ってしまった。そういう恨みの言葉ではないですよね。何としても息子の思い、それを褒めてあげたい、たたえてあげたいとする、そういう母心だろうと思います。
これは出撃直前の写真です。毎日新聞か朝日新聞のカメラマンの要望に応えているのかもしれませんが、こうやってにこにこ顔でおにぎりを食べている。でも本当にこういう写真が残っていて、その後、出撃をして死んでいったということであります。
学生の感想です。
大東亜戦争、私には全く関係のないことで、既に終わったことだと深く考えたこともありませんでした。六十年以上も前のことで、詳しく教えてくれる人もいなかったので、戦争に関する知識は少ないと思います。中学・高校の歴史の授業でも分かりやすく教えてもらえなかったので、自分から学ぼうともしませんでした。今回の講話は、今年下半期で一番心を動かされたものでした。当時、私と同世代の青年がどのような心境で生きて、そして国のために死んでいったのか、初めて触れた気がします。
林市造さんが母に残した手紙は、読めば読むほど涙が出てきます。母を思う林さんの気持ちに共感できるからです。(中略)親を残して死ぬことほど親不孝なことはないと言いますが、林市造さんたちは国のために誇りと使命感を持って母と別れ、戦場へ行きました。とてもつらかったことでしょう。(後略)
違う方の感想です。
何か問題の壁にぶつかるたび、肩を落とし、世の中で最大の辛さを背負ったかのようになっていました。そんな自分があまりにも惨めで情けなく仕方がありません。「本当に辛いとはどういうことなのか。」この問いが投げかけられたとき、自分の精神の弱さと自己確立の不安定さが如何に甚だしいか考えさせられました。戦時中、同世代の方は、与えられた運命を真に受け止めまっすぐな思いで、その使命を果たしていきました。私は何を甘えているのかと思いました。
林市造さんのお母様の手記には、「国を挙げて戦っているときに生まれ合わせたのが運命です。」とありました。世の中に、我が子の命を惜しまない親がいるでしょうか。戦中、国のためとはいえ、涙を流さずに息子の最期を受け入れられる母が一体どこにいたのでしょうか。そんな思いをされた数多くの方々がいたからこそ、現在の日本があります。
警察学校も大体年間百名前後入校して、十名近く辞めていくそうです。その訓練の厳しさに耐えかねて辞めるのですね。しかしそういうときに、明日辞めようか、あさって辞めようか、そのときにこういうものに触れて、自分の考えはちょっと甘いな、自分は命を取られるわけではないのに、甘えているのではないかな、そんなふうに考え始めるときに、やはりその青年は成長を始めるのだろうと思います。
今現在、青年期にある皆さんにとって、分かれ道はそこにあると思います。私も青年期、不平不満の塊でした。しかし、不平不満はいかほど自分に恐ろしいものか、それも思い知りました。青年期に、今あることへの感謝、国への感謝、一体誰のおかげでこの平和で豊かな時代を自分の思いどおりに生きていられるのか。そういうことに対する感謝、それを思うのかどうか。上司に対する不満、親に対する不満、社会に対する不満を持って生きるのか。そこには大きな分かれ道があるように思います。
この人たちのこのつらさに比べれば、自分の苦労など何ほどのものか、そんな思いで生きていけば、多少のことは生き抜いて乗り越えることができるのだろうと思っています。

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