

ここまで戦没者のことで大分深刻な話をしてきましたけれども、こういう話もしてみたいと思います。
日露戦争です。広瀬中佐。まあ広瀬さんのことは聞いたことがある方もいるでしょうけれども、『坂の上の雲』でも描かれております。旅順港の閉塞作戦で、部下を守り抜いて、しかし最後は、杉野兵曹長とともにその作戦の中で戦死をされました。
その広瀬さんのことも今、遊就館の展示室の日露戦争の乃木さんが展示されているところに小さな模型がありますね。あれだけですよね。靖國神社の大鳥居を下って、神田須田町のあの交差点にこの銅像があったのですよ。広瀬さんの銅像、下にいるのは部下の杉野兵曹長。これが須田町の交差点にあって、私は当時宣徳課で神田靖國講のお世話もしていて、講元さんに、野口君、昼でも食べていけと言われて、一緒に食事をしながらいろいろな話を聞いたのです。
そのときに講元がこんな話をしたのですよ。
昔ね、子供の頃、父親に手を引かれてこの銅像を見に行ったんだよ。そのときに父親がこう言ったんだよ。
いいか、人の上に立つってこういうことなんだ。自分の部下、その命を自分の命をかけてでも守り抜く、そういう決意、覚悟がない人間は人の上に立っちゃいかんのだ。
人の上に立つということはこういうことなんだと。
当時、神田だけでなく、東京市中の男親はみんな男の子が生まれるとこの銅像を見に行って、そういう話をしたのだそうです。
今、人の上に立つ人が率先して悪さして、そういう日本になってしまいました。しかし、これも今、銅像がないのは、占領軍がやってきて、こういう教育、こういう立派な日本人に、その日本人の記憶からなくさなくてはいけない。
だからこれを壊して、今、遊就館の片隅に小さなこの模型があるだけでしょう。
だけれども、その模型についてもそういう話をしていますか。なぜこの銅像は今、神田にないのですか。参拝者、拝観者、それを分かりますか。でもね、そうやって話せば、アッそうかと。
人の上に立つということは、こういう人のことなのだ。それを見習うということが学ぶということなのだ。
そういうことを親から聞いた子供は、やっぱり忘れませんよね。それが日本人の律儀さ、責任感、社会性、あらゆるものを育ててきた。もう一度取り戻して、銅像を建て直したいぐらいですよね。あの遊就館に唯一残るこの銅像、ミニチュアですけれども、そんな話をしてもらいたいなと願っています。
広瀬さんのあの戦死のときに、駐在武官でいたロシアの貴族の人たちが、広瀬の死に対して喪に服した。それほど信頼を得た広瀬さんという人柄、そういったものも『坂の上の雲』に描いてありますが、日露戦争当時のお話も、ぜひ多く学んで語っていただきたいと願っています。
次は、戦場掃除隊。これは小さいですけれども、コサック帽をかぶったロシア兵と日本の兵隊が、入り交じって記念写真を撮っ
ています。
戦争が終わってからではないのですよ。一旦戦闘休止を約束。戦闘を休止して、戦場に散逸してしまった戦友の遺体を収容し、遺品を回収して、その共同作業を日露両軍で行った。そのときに撮られた写真であります。
私は、これは本当に世界の戦争史に残る奇跡の一枚だと思って、ずっと話をしてきました。今、世界中で戦争が行われていますけれども、こんな写真を撮れる戦争がありますか。
日本も、ロシアも、日本には武士道、そしてロシアには騎士道があった。互いに一旦戦闘休止を約束したならば、必ずその約束は守るべき。やつらはその約束を守れる人間だと互いに信頼がなかったら、みんな銃火器を所持していますよ。戦友を撃ち殺されたその憎しみのあまりに敵兵を一人でも撃ち殺すような行動に出たならば、この場にいた人たちは皆撃ち合いになって死んでいったことでしょう。しかし、そうはならなかった。そういう奇跡の一枚だろうと思います。
私の書いた文章で恐縮ですけれども、
美的信仰と倫理的習慣を宗教や倫理観または規範意識とすれば、これらは時代とともに科学のように進歩しているのだろうか。
祖国の歴史すら愚かなものであったと見下す人たちに聞いてみたい。
あなたたちの倫理観は、当時の日露両国の兵士より進歩してよくなっていますか。美しいものですか。
つづく

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