
また、『坂の上の雲』で司馬遼太郎さんも書いていますけれども、あの大東亜戦争に否定的な司馬遼太郎でも、
日露ともに戦場でも勇敢さを美と認める美的信仰を持っていたし、自分が美であるとともに、敵もまた美であってほしいと望む心を倫理的習慣として常に持っている。
この時代は、そういう習慣の最後の時代であった。
最後の時代であっては困るのですけれどもね。
あと、先ほど紹介した山岡荘八さんの師匠に当たる長谷川伸さんという人が『日本捕虜志』というのを書いています。中公文庫で出ています。この『日本捕虜志』には、捕虜となったロシア兵を見物に行くかと問われた金子一等卒がこう答えるのです。
自分は内地にあっては魚屋でした。しかし、今は帝国陸軍の兵士としてもののふであります。武士は相身互いと言います。捕虜となって彼方此方と引き回されてさらし者にされているロシア兵、その屈辱を思うとき、私はそれを見たいと思いません。
ロシア兵のその尊厳を守ってやりたい。そう思います。
隊長は言いました。「金子一等卒の言葉は言やよし。」その捕虜の見学はやめた、というような逸話がたくさん残っています。
日露戦争も調べれば、本当に心温まるようなステッセル将軍と乃木さんの会見だけでなく、お互いが本当に死力を尽くして命をかけて戦った中で生まれた戦闘の華とも呼ぶべき美しいその精神というものが、つぶさに見てとれるわけであります。
先ほど慶應義塾では戦没者を慰霊する行事がないというお話、少し簡単にしましたけれども、ほとんどの大学ではないのですが、我々の出身であります國學院と皇學館両大学では同窓戦没者に対する慰霊の行事を持っている。そういうことは皆さんも知っているでしょう。しかし、この当時の國学院の山川弘至さんの書いた手紙、これを読むと、本当に何かこう身が縮むような恥ずかしさを覚えます。
山川さんが愛する妻に送った手紙を読んでみましょう。
比島の前線よりこちらへ帰ってくる航空部隊の人たちに聞きますと、比島の原住民というのは、魂の底まで白人文明の陰謀にむしばまれているのに、今さらのように驚きました。
それは一見大変幸福な生活のように見えて、最も人間にとって恐ろしい生活であり、しかも一度この味を覚えるともうとても元に返れないような恐ろしいもののようです。
ともかく比島人は、とてもぜいたくな風俗に浸り切って、勤労の喜びというようなことは全然知らない人種だということを知りました。しかも、アメリカの物質文明の害悪が心の底までしみ込んでいるようです。
もし日本が負けたら、我々の民族も又かくして永久に太古以来の、比類ない民族精神を喪失することでしょう。
どうしても勝たねばなりません。我々が勝たねば、わずかにアジアに残って日本によって支えられているアジアの精神が、永久に地上から抹殺されてしまいます。
どうですか。私はこの文章を読むたびに、自分のことが恥ずかしくなります。しかし、しようがないですよね。我々はこの豊かで平和な日本に暮らして、その中で十分に幸せを感じている。そのどこに不満があるのだと。こういう時代のその貧しさ、勤労の喜びだけで生きている時代と違うのではないかと。
だけれども、山川さんの書いたことに対して、警察学校生はこう書いたのですよ。
私にとって最も印象が強かったのは、山川さんの話です。私は今まで大東亜戦争とは、国のため、天皇のため、大事な人のために戦っていたのだと思っていましたが、山川さんは違いました。国の特質というか、国柄を守るために戦っていたのです。
私たちは、山川さんが守ろうとしたものを守り続けているのでしょうか。
私たちは山川さんの心配していたとおり、アジアの魂を失い、白人文化にむしばまれているのではないでしょうか。
私はこれから警察官として、国民のために働いていきます。山川さんが守ろうとしたアジアの魂、勤勉さが求められ、又、保持していかなければならないのが警察官の職務です。機械に頼りすぎて楽をして職務を全うすることなどできません。山川さんの話から、「国民のために汗をかいて働かなければならない」ということ、「警察官という職務の中で、自分の目標を明確に立て、その目標に向けて努力をしなければならない」と、決意しました。
つづく

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