
正直なところ、私もこうやって偉そうなことを言っているのですが、遊就館時代、こういう話をしながら毎日苦しんでいました。自分にも家族があって、かわいい子供たちがいて、毎日暖かい布団で寝て、食べたいものを食べて、何不自由なく幸せに暮らしている。その自分が、どうして一つの苦しみも悲しみも知らない自分が戦没者のことをこうやって話せるのか。
そういう心は、常に私を責めました。苦しかったわけです。そういう話をしている自分が恥ずかしかった。どこにそんなことを
話せる資格があるのだ。どうしたらいいのだろうか。
私はみそぎを始めました。
毎朝六時、神社そばの職舎におりましたので、チャリンコに乗って九段坂を駆け抜けて、神保町、日本銀行の脇を通って日本橋から八丁堀まで走ります。行きは二十五分ぐらいで八丁堀に着いて、六時半から鉄砲洲稲荷神社の中川正光宮司さんと、もう一人社会人の方が来ていましたが、三人でみそぎを始めます。
この写真は大寒の日に大きなプールを使って、百人ぐらい集まりますから、氷柱を浮かべて、中川宮司さんが水に入っていますけれども、普段はちょうどこの天井ぐらいのところに大きな水槽があって、そこから六本、水が水柱となって落ちている。そこの下に入って、水をかぶる。まともに頭に受けると危険なので、首の付け根、肩に受けて二~三分、水をかぶるわけですけれども、これを毎朝毎朝続けていきました。
みそぎは、皆さんも大寒のみそぎをやって、真冬も厳しい。だけれども、一年通じてやると、秋のみそぎが一番厳しいのです。秋は、毎朝毎朝寒くなるのです。
明日はまた寒くなる、あさってはもっと寒くなる、そう思うとつらいのですよ。行きたくないのです。ところが、冬になってしまうともう寒いのは当たり前ですから、もう何ともないのです。寒さなど、どうってことないのです。そうやってみそぎを続けていく。
春になると毎日毎日暖かくなってくる。ああ明日はもっと暖かくなる。もううれしくてうれしくてしようがないのです。鳥の声もよく聞こえますし、お日様の暖かさもよく分かる。春の喜びが身体全体に満ちてくる。
帰り道は、チャリンコで今度は八丁堀から九段に向かって走ってくる。ちょうど東から昇ってくる朝日が背中に差してくるのですよ。真冬に、氷を背負っているように冷たくなった背中が、だんだん温かくなってくる、お日様を浴びて。ああ、ありがたいな、お日様はありがたいな、本当にそう思います。
最後、もう九段坂を立ちこぎでエッチラコッチラ上がってくると汗までかいていますよ。そうやって、まあ宿直もあれば参籠奉仕もありましたから毎日は行けなかったですけれども、一年間に二百五十日ぐらい通いました。五年間続きました。そしたらどうなったか。
本当のことなのです。
まず一つは、書庫に入ってね、本が呼ぶのですよ。この本を読んでくれと。また自分で調べているときに、その本が出てくるのですよ。資料が集まってくるのです。それ以上に驚いたのは、人がやってくるのですよ。自然と人が情報を持って、やってきてくれる。どうしてかな。本当にそういうことがありました。
自分のこの背中に、こうアンテナが伸びてくるような感じ。人の良い心、戦没者を思う良い心が寄ってきてくれる。それがますますこうやって資料を集めていく上で、自分に教えを与えてくれるのですね。
あるとき大野宮司から、「野口君、この方の資料を集めておいてくれ」、そう言われて、風呂敷包み一包みにその資料を集めておきました。
それから一週間もたたないうちに、御遺族が来られたから応接室にその資料を持ってきてくれ、ということで持っていきました。風呂敷を解いて資料を広げると、その御遺族は四名で来られていましたが、もう目を丸くして驚き切ったような、何が起こったのかというぐらいな顔をしているのです。
私も、どうしてこんなに驚くのかなと思ったら、いや、今日は靖國神社にお参りして、せっかくだから本殿まで上がって昇殿参拝をしようと思って、受付はどちらですかと聞いた相手が大野宮司だった。
そうしたら、大野宮司さんから、よく来られました、お身内の戦没者はどなたですかと聞かれて、名前を言ったら、大野宮司が、お待ちしておりました、そう言って応接室に通された。通されたら、すぐに野口が行って、今度は資料をバッと広げた。御遺族たちは、こんなにすぐに、まるで私たちが来ることが分かっていたかのような準備が、どうして出来ていたのですかと聞くのですね。そのときに大野宮司が何と言ったか。
私はこの一週間、ずっと考えておった。この人のことを一生懸命考えておった。だから必ず遺族の方を連れてきてくれる。御祭神が必ず靖國神社に御遺族を連れてきてくれる。そう信じていたですもんね。だから来られたんですよ。当然です。
こう言ったのです。
遺族の方もびっくりしていました。私もびっくりしました。私はこの後、広報課長として、このときの話を社報に書こうと思ったのですが、文字にするには厳しい面もあったのですけれど、ちょっと書き始めました。そして、大野宮司に内容を相談したのです。
私はそのときに「偶然」という言葉を使ったのですよ。そうしたら大野宮司はひどく怒りましてね。
何を考えているのだ。神職として、「偶然」という言葉なんか使うもんじゃない。それは恥ずかしいことなのだ。自分が心から祈って御祭神を思えば、必ず応えてくれるのだ。そうして応えてくれたら、ありがたいと思ってかしこめばいいのだ。それだけのことだ。
大野宮司のこの言葉は、私の心の支えですね。
思い祈れば必ずそうなります。靖國の神様は本当に力がある。それだけの思いがあってここにお鎮まりになって、いろいろな方を呼んできてくださる。ただ、神社の人間がぼやっとしていたら、それも気づかぬままになるのです。だけど、皆さんの心の中にそういうものを受け止めるだけのものがセットされておれば、ピピッとこう感じて、そういう導きを与えてくれる。
私はそう思います。必ずそうなってくることでしょう。 つづく
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