
みそぎというのはそう簡単なものでもありませんし、続けることも厳しいかもしれません。だけどね、立派なみそぎ場が出来たのでしょう。使っているのですか。
誰も答えられないということは、使っていないのですか。
今、社会の中で自分の生活、人生、不安を抱えて苦しんでいる人がいっぱいいますよ。そういう人たちだってね、靖國神社でみそぎが始まったらしいよ、何か六時半に行くと必ずみそぎができるぞと。そうなったら来る人はたくさんいると思いますね。
それより以前に皆さんが、自分の心や体に何か負荷をかけて、そして少しでもこの靖國の御英霊に対して御奉仕の真心を見せようと、安穏と自分の人生だけを考えて生きているのではなくて、本当に戦没者のことを考えて自分の人生を捧げよう、本当の靖國神社の神職になるのだという思いを持って、みそぎを始めてもらいたいなと願っています。
いや、氏子や崇敬者の目は本当に厳しいのですよ。これは鹽竈神社のお神輿さん、急な二〇二段の階段を下りるのですよ、一トンのおみこしで。これはみなと祭といって、志波彦さんの神輿もおさがりになりますから二基下るのです。その後、市内を十キロほど巡幸して、最後に神社におもどりになるため上るのですよ。
だけれども、この下るときも上るときも、みこしの下に入った人間は途中交代はできないのです。逃げられない。一人でも逃げたらね、お神輿は潰れますよ。
一人でも逃げたらおみこしが潰れて、人の生死に関わる。もう階段を下り切る、上り切るまで、その担いだ場所から離れられない。そういう覚悟の必要な御奉仕なのです。
そのために、十日前みそぎという習いがあるのです。十日前から皆仕事を終えた後、五時過ぎに鹽竈神社のみそぎ場に集まってきて、みそぎをするのです。
三月の帆手祭の時期は、二月の末から始めるのです。足元は玉石でね、明治神宮のように水をためたところから、おけでくんでかぶりますけれども、水より玉石が冷たい。
それでも懸命にみそぎを続けて、アッこの人間は信頼できるとなれば、今回は君もみこしの下に入ってよしとなる。信頼を得なければ、このみこしの下に入ることはできません。そうやってみそぎを続けている氏子なのです。
だからその分、神職にも厳しいのです。
お神輿さんの供奉、お供役をつかさどるトップは権宮司であったり、禰宜であったりします。そうすると氏子が、養成所がありますから養成所の生徒に聞くのです。今回のおみこしの供奉は誰やと。今回は野口先生です。野口先生はちゃんとみそぎしているのかと。こうやって聞いてくるのですよ。
いいですか。生徒は正直ですから、アアあの先生はあまりみそぎしていませんとか言ったら、氏子は何と言うか。ああ今回は雨だ。今回は雨だな。本当に雨でも降ろうものなら、あの先生はちゃんと禊行を積んでいないから雨が降ったのだ、こう言われるのですよ。そこまで背負って供奉をやっているのです。そういう氏子の目というのは厳しいものです。
いいですか。これは私から後進の皆さんへ檄を飛ばしているのです。激励でもありますよ。
決意があればできますよ。本当に身も心も変わっていきますから。そう信じることです。
養成所は四月一日に入所式、二日の朝からみそぎを始めます。歓迎みそぎと呼ばれ、十日間続けます。その後、四月の花祭り前のみそぎも始まります。だから、四月は二日から第四週の土曜日まで、約三週間ずっと毎朝みそぎです。もうその話を聞いて、一日に入所して二日の朝、脱走した学生もいますけどね。みそぎが嫌で学生が脱走することが結構ありました。前は戻ってきたりもしましたが。
だからそのときには言ってきかせます。二日続けたら三日続けられる。当たり前ですね、三日続けられたら一週間続けられると。そして最後に、こう付け加えます。十日やったらやめられないよと。
本当に春のみそぎはやればやるほど、無限の大宇宙の一点だとか、永遠の流れの一点だとか、そういう自覚がハッキリと自分の中に生まれてきます。
木々の芽吹き、若草のむせかえるような匂い、そういうものが全身を満たしてくるような喜び、そして神様が導いてくれる、そういうことを信じなかったら、みそぎをやる必要はないでしょう。
では皆さん、何を信じて奉仕していますか。御奉仕とは何ですか。ただ、例祭のときに参籠していればいいのですか。心構えはどうなのですか。そうやって自分に問いかけながら、自分に厳しさを持って御奉仕していますか。
本当にすみません、偉そうなことを言いますが、そういうことなのですよ。そこで本物になれるかどうか。
では、おまえはみそぎしているのか。私は今はしていません。だけれども、そのときの心の支えは今、私を導いてくれています。こうやって人前で話しても、堂々と語るだけの自負を得ることができたのです。 つづく

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