94、靖國神社職員勉強会での講話その12

教誨師活動
教誨師活動

 私は、運が良くなかったと評されることがあります。けれどもこうやって人の前で話ができる。ましてや、こうして靖國神社の職員の皆さんの前でお話ができる。これに勝る幸運と喜びはないのですよ。樋口禰宜さんにずっとお願いをしてきて、いつか呼んでくれよと。今回こういう機会を得て本当にうれしく思っています。

 だからこそ、後輩の皆さんに頑張ってもらいたいと、心から願っています。

 実は、全国の神職も英霊顕彰の話ができるように勉強会を始めているのです。

本丸の靖國さんの神職として、「ではあなた、御英霊のことを話してくれませんか」と言われて、十分間話せますか。五分話せますか。全然話せませんか。それで済みますか。

そうやって自分に問いかけて努力してもらいたい。そんなふうに思っています。

 先ほどから話している、十七代の大野俊康宮司さん。この宮司さんに私は指導してもらった。「戦没者の話を堂々と話せ」と、そして、「こういう話を聞いて涙の一つも出ないようならそれは日本人ではない。そう思って話せ」、そう教えてもらいました。

 この大野宮司さんが、終戦五十年の時、今からちょうど三十年前のことです。そのときの横綱は貴乃花と曙で、日米両国出身の横綱でした。その意味もあり、日本相撲協会は全力士が参加する戦没者慰霊の硫黄島への旅を実施して、大野宮司も同行されました。そして、硫黄島の戦闘を象徴する摺鉢山へ向かって横綱土俵入りが行われたのであります。

 大野宮司と一緒に硫黄島へ行った中に、上坂冬子さんという方がおりました。その上坂冬子さんから著書「償いは済んでいる 忘れられた戦犯と遺族の五十年」という本をいただいた大野宮司は、戦犯・殉難者の人たちのその悲しみ、遺族の苦しさというものを知って、本当に心から涙を流して、それ以降、戦犯・殉難者の人たち、法務死された方々の話がとても多くなりました。

 

 B29搭乗員を救えなかった罪。

法務死されたお一人、本川貞さんのお話なのですが、パラシュートで降りてきたB29の搭乗員を助けることができず、それを罪

にして法務死になったわけなのです。

その日、東京大空襲、焼き尽くした張本人たちですから、もう日本中が大混乱で救えるわけもなかったのです。しかし、全責任は司令部が持つというような中で、本川さんだけがその罪を問われて、巣鴨へ拘留されて処刑されてしまったわけであります。

 大野宮司は、上坂冬子さんが本川さんの遺族のお話を詳しく取材して書いている『償いは済んでいる』に深く感動して、この内容を靖国神社の社報に載せたのでした。すると、それを読んで感激し、教誨師として刑務所でその内容を話した方があったのでした。

 

 本川貞さんのことを、教誨師として京都刑務所でお話ししたのは、北野天満宮の浅井與四郎宮司であった。靖國神社の社報『靖國』(平成九年六月号)には、拘置後の本川さんを語る内容がある。

 本川さんが自分の食事をさいた御飯粒で貼り合わせた粗末な紙に描いた一枚の絵のくだりから書き抜くと、「団らんの絵の中には、火鉢にかけられたやかんや中の徳利、お供えと正月の花が生けられ、『祈願家族無事』と自らの名を記した軸が掛けられてある。さらに、『昨年復員後初正月を迎え、家族新春を寿ぎたる元旦午前七時ごろのお雑煮を思い出し本年の正月もかくあらばと思い感無量なるものあり。』

 私はここで声が詰まった。ふと見ると、収容者も目頭を押さえて、拳で涙を拭っている。正に鬼の目にも涙である。家族へ思いをはせたのであろう。やがて訪れる正月に、同じ思いを寄せたのであろうか。私が教誨を続けてきて初めての光景である。

 幾千万言の教誨に優る史実である。家族の絆は彼らも同じである。この血の涙が更生を誓う呼び水となってほしい。この涙が罪

を洗い流し、浄めてほしいと一途に祈った。

 

 平和に恵まれ、家族そろって食卓を囲み元旦にお雑煮をいただくことは、決して当たり前のことではない。本川中尉も、今年もお雑煮がいただけると思っていた。しかし、彼は二度といただくことができなかった。

(中略)中尉の御長女の夫は結婚前、交際相手の父親が戦犯だったことを両親に告げた。そのとき父親は、「勝った国には犯罪者でも、負けた国にとっては功労者、何の支障もない。」と断言されたという。この堂々たる言葉、当時の日本人の真情であり、現

代人への戒めである。

 後日、この話を聞いた被収容者の一人が、めでたく出所。まず靖國神社に参拝し、英霊に感謝して人生を再スタート。次に浅井宮司に報告され、北野天満宮にて仲間の冤罪消除祈願をされたという。浅井宮司は電話にて、「これも靖國様、天神様のおかげ、神主冥利に尽きます。」と涙声で知らせてくれた。受ける私もうれし涙であった。人様のお役に立てた喜びがどれほど大きく尊いものであるかと、浅井宮司の真心が心にしみた。忘れ得ぬ思い出でありました。  つづく