
私も、このときに広報課長で浅井宮司さんとやり取りをして、自分もいつか教誨師として英霊を語りたいなと思いました。
そうしましたら、偶然といいましょうか、偶然ではなかった、導きだったと思いますけれども、宮城に行ってから教誨師としての役目を仰せつかって、受刑者に対して教誨活動を行うことができました。
教誨というのは教え悔い改めるように宗教的な活動を言いますけれども、本当にその中で様々なことを感じたのですが、最後、また震災の話に戻りますけれども、忘れられませんのは、無残な姿に成り果ててしまった御遺体、最後まで身元が判明しなくて、そして遺族の方も分からないままの御遺体が十体ほど残ってしまった。
しかし、いつまでもそのままにしておくことはできないという仙台市の要請により、荼毘に付すこととなります。
しかし何の宗教的行事、お慰めの行事もなくて荼毘に付すのはあまりにも切ない。
そんな仙台市の要望を受けて、教誨師会が、それぞれの宗派の代表が一体一体にそれぞれの形で荼毘に付す際の慰霊行事を行ったのです。
私も神社界の教誨師の1人としてそれに参加して、一体一体に大祓詞をあげました。
そのときに、隣のお棺の前では、キリスト教の方が賛美歌を歌っている。
こちらでは、お坊さんが般若心経をあげている。
私は大祓詞をあげている。
それぞれの声もしっかりと耳に入ってきますけれど、私は大祓詞を読みながら、一つも大祓の言葉に詰まらなかったのです。
その場で何としてもこの大祓詞を間違いなく奏上申し上げて、この方を荼毘に付したいと思う一心でした。
隣の方の賛美歌も乱れない、読経も乱れない、ほかの宗派の人たちとも同じように声を出していろいろな形でやっていても、何か一つのリズムになるようで、それぞれの言葉が流れているような、そんな得がたい経験であったのです。
何というのでしょうかね。大祓詞にはそれだけの力があるのですよ。あの言葉には。私はそれを実感しました。
手前勝手なことで恐縮ですが、夏越の祓と年越の大祓、年に二度やっておられると思いますけれども、大祓詞の宣読というのは大変ですね。一人であの一巻、声がかれずに読み切るのは大変なのですよね。でも、私は禰宜から権宮司になって、ずっと十五年それを奉仕しましたから、三十回以上となります。
鹽竈神社は六百人以上の氏子が参列しますから、畳紙に包んだ切麻を六百以上用意して一人一人に渡します。六百人参列する中で、マイクもなくて大祓詞を奏上するのです。最初の二~三年はもう本当に読み切るだけで精いっぱいでした。
しかし、後年、大祓詞を読んでいる最中に、小さな子供やいろいろな方がいますけれども、あの間、子供を含めて声を上げる人がいなくなりました。
シーンとしたその厳粛な、張り詰めたような空気の中で大祓詞の奏上をすることができました。
やはり場の支配をするだけの力があの言葉にはあるのだと、つくづく思ったわけです。 つづく

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